8月20日 月曜日

朝から女子校で、60人対象にワークショップ。

一通りワークショップ自体はやりきったし問題もなかった。けど、みんなの声を拾う、深まりをサポートする、encourageする、どれもめっちゃ難しかった。

自分の立ち方、在り方、学ばせてもらったーーー。

これから始まる海外研修2本に活かす。

 

夜は料理しながら、K野ちゃんと久しぶりにいろいろ話せて楽しかった。K野ちゃんとゆりと、3人で食卓を囲んだ。こういう感じ久しぶりで、とてもいい。

 

健太郎

8月16日 木曜日

ここ数日、仕事に身が入らない。

どんなに気持ちを入れようとしても、手際の良さや集中力など、そこそこが限界。心の琴線に触れるテーマじゃないんやなあっていうのと、ていうか一日平均10時間座ってパソコン見てる平日ってのが超絶合わない。。プラス、自分の責任じゃないことの表明や仕掛けをすることを無意識的に真っ先にして先回りするように感じるあり方にワクワクしない最近。

次のステップのこと、考えよう。

 

最後は意識が朦朧とするくらい超絶疲れて、帰ったら今日はシューマッハのお話会。

人が集まっていて、その中に入ってチェックインしたりお茶を淹れたりしているのが心地よくて癒された。

それでも疲れで途中離脱、心がざわざわしていたゆりの話を聴きながらエンパシーサークル?して就寝。いい感じに一日締の締めになって、疲れからじゃなく、充実感でぐっすり寝られた。

 

健太郎

8月12日 日曜日

インスタントの焼きそばを食べて相当に腹を壊した昨夜。

体が自然じゃないものを取り入れることに対して敏感になってきてるサインだと思うので、体が声を出せるようになっていることはうれしい。

反面、久しぶりにこんなに壊した。痛い。。

ガチ腹痛のときって、全身に力が入らなくなるのを思い出した。

それでもカモミールティーや黒い岩塩のお湯割り(ネパール人が体調不良の時に飲むらしい)を飲んだりして、今朝はほぼほぼ復活。ありがたい。

 

ゆりと一緒に前回から行きつけになった自由な美容院@恵比寿へ。パートナーと一緒に髪切るのは初。元気なからあげとちょんまげ、いいエネルギー出してはるHDKさんに癒された。

 

帰り、質がおかしいゆりの化粧品の返品・交換に新宿へ。

結論から言うと自然劣化・変色によるもので商品の落ち度ではないってことになったのだけど、

最初に行った小田急百貨店で全然納得いかなくてモヤモヤした対応と、その後行った伊勢丹のショップでの、結果は同じだけど納得のいく対応のコントラストが超いい収穫に。結果どうこう以外に、理解されたり聞いてもらえるニーズってやっぱり人には強くあるんやなーって、自分たちの反応から学んだ。

 

家で豪華な(値段は安い)ご飯を作って食べて、唐辛子の種を植えてから、

調べたかったことを今日のうちにいろいろ調べ切って、満足。

1:00ごろ就寝。

 

健太郎

8月8日 水曜日

台風の日。

昨夜突然降ってきた、初耳ぐらいに関わっていなかった案件の請求書作りやらなんやらをさばいてたからか、肩がガチガチ。

帰りの交通機関が止まったら嫌なので、その前に帰ろうと心づもりをして出社。

仕事はサクサク進んで、ゲームをクリアしていく楽しさみたいなのに久しぶりになった昼間。普段の1.5倍くらいのタスクをこなした。

16:30になって電車が乱れ出して、みんなで積極的に切り上げて帰宅。

帰宅後も1時間くらい仕事没頭したら、無理やろーと思ってたところまでできた。ゆりとすぎにゃもが作ってくれたご飯を食べながら落ち着くと、ちょっと深いところで疲労感を感じる。

  

夜のチェックアウトからの対話でre-memberしたことは、自分の「結構なレベルで興味・好きなことに没頭して極める」ことができる能力・特性。

今の仕事は、その追求するビジョンや方向性、メンバーの在り方、言動のところで自分と合致しない率が高い(僕が必要な“自分と世界に正直に生きる純度”が高いからってのもあると思う)。

なぜ続けている?の内訳、今いまの体感を書き出してみるとこんな感じ。↓

ここだから学べること/体験できることに価値を置いてる・・・50%

(ここだからできる場作りの場数、ここだからアクセスできる(しやすい)国際的場所の場作り、内容は秀逸で面白いプロジェクト、この数人の極小組織が大規模な仕事を受けて名前を広げていくプロセス、意思決定していくプロセスの一例を体感、裏方事務局業務のトレーニング)

想いの強いこの規模感の組織のリクルートでヘッドハントしてもらったご恩を、向こう側に納得感があるレベルの成果で返したい・・・10%

(突き詰めればどこまでいっても相手の反応は読めないしそこに絶対的に従順である必要はないと思うけど、少なくとも自分がそう腹落ちするレベル感ってのはあるかな)

そのレベル感を達成できなかったときに帰ってくる反応が単純に怖い・・・10%

(やっぱりあるなぁ)

上の「ここだから学べる/体験できること」の経験値を重ねながら、収入得ながら独立(or次のステップ)の種まき・準備ができて、同時に畑を育てて生き物と共に生活ができて、都会で会社勤めをしながらどれだけ無理なく自然な理想の暮らしに近づけるかの実験ができる・・・30%

(いまのところ思ってる、自然な理想の暮らしの要素はこんな感じ ↓ )

DIY(つくる楽しさ)

◎食(体と循環を大事に想う食)

◎場づくり(一緒に自分らしくあれる、気持ちのこもった空間)

◎ていねいな暮らし(一つ一つに意識を向ける余裕、間、空間のある暮らし/動物・いろんな生命とのふれあいがたくさん)

◎共存・持続する生き方(ネイチャーに生きる、ナチュラルに生きる、地球の一部として生きる)

   

いろいろあるけど、とはいえいろんな意味で不健康な側面はたくさん。

なんとなくあと2年(次の住処の期限と、仕事面の体感)ってイメージは湧いてくるけど、もちろん必ずしもそれによる必要はない(早くてもいいし、遅くてもいい)。そんな言葉ももらいながら、re-memberしていった夜。

いまここの世界をまっすぐに感じる純度、それを表現する純度をできるだけ高く保ちながら生活がしたくて、その中で極論、直感で決めていけばいい。そう思う。

内省する機会を一緒に向き合って創ってくれるパートナーの存在に感謝、感激、雨あられ

 

健太郎

8月4日 土曜日

ゆっくり寝ようと思ってたのに、7時に目が醒めた。

植物たちの様子を見て、トマトの花の下3つの枝葉から下は全て切り落とす。

トマトの花や実はその下3つの枝葉から養分をもらっていて、

且つトマトは、実や花よりも自分の茎や枝を伸ばしていく方を優先する性質があるため、

それ以外の枝は切ってしまった方がいい。

高い標高のため日差しは強いが気温は低いアンデスの乾燥地帯、そんな場所が原産地なので

気温は上がりすぎない方がいいが日光はできるだけたくさん必要で、水はあんまり必要ない。

一方で同じ夏野菜のナスはインドの湿地帯の出身だから、暑くてもいいけど水をたくさん必要とする・・・。

自然の摂理を学ぶこの分野が面白すぎて、しかも少しずつでも実践できるから

いくらでも飽きずに時間を使える。

農家になるイメージはあんまりないけど、半農半Xで両方の半分をこういった自然に向き合う・実践する・広める分野にエネルギーを投じていきたいな、と思う。

 

ゆりが1か月ぶりに帰ってきてて、朝ごはんを作って一緒に食べる。

昼から巣鴨(おじいちゃんおばあちゃんのイメージ)の病院に行って、たまたまお祭りに出くわしたり、病院と薬局で大笑いしたり、とげぬき地蔵の神社で参拝するフレンドリーなおばあちゃんたちと会話が生まれたりして。ちょっと巣鴨が好きになる。

次に向かった谷中でも盆踊りに出くわして踊る。今日は祭りの日。

晩御飯を食べた野菜推しのカフェでは近くのおじさんの会話があんまり気持ちよくなくて反応したり、閉店後なのに入れてくれたかき氷屋さんでも朝ドラみたいな定員のみんなと会話が生まれたり、なんというか、人間味のある一日だった。

楽しい週末。

 

健太郎

7月31日(火)

体の声を聴いて、理想の生活リズムに向けてアクションしたい欲求がふと湧いてきて22時寝して5時起きしようと思ったけど、結局7時まで9時間寝てた。

おれ、疲れてるわって気づいた。笑

明日から継続、徐々に体慣らしていこうー。

 

収支の計算をして、新しく取り寄せた今の興味ドンピシャの無肥料自然農法の本「ガッテン農法」を読み進める(毎朝30分読むことに)。

内容がまじ秀逸。

成長に不要で切り取ったトマトの枝を水につけてたのが、今朝見たら長い根っこが!

シソの種を蒔いた鉢植えに植えつけた。それから、出社。

10時出社やと、7時起きでもそれなりに時間あるのは嬉しい。

 

アムステルダムの、ゆりのいるところから数十メートルのところで発砲事件。その時に現地で感じてることや行動が自分ごとに感じられるから、自分の学びにもなる。心配もあるけど、世界への信頼も同時にある感じ。

世界に、そこにいてくれることに、周りにみんなに、感謝。

 

今日はそんな感じ。

 

健太郎

 

7月30日(月)

今日は悲しいことに行きつけのラーメン屋さんが潰れた。

悲しみ余って書いた坦々麺ポエムを日記代わりとする。

 

ちなみにタイトルはサザンオールスターズの"可愛いミーナ"(なかなか素敵な夏の失恋ソングなのだ)の歌詞を改変した。

 

【我が麗しのギョーザ 帰らぬ夏の思い出】
 
恋というのは別れがつきものだ。
 
誰もが知ってることだけど、あまりにあっけない失恋をすると
ある人は憤慨し、ある人は取り乱し、またある人は寝込む。
 
急な別れは何も人に限った話ではない。
 
健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも
いつも近くにあった馴染みのラーメン屋さんが潰れる時、
人は"失麺"に心を痛めるのだ。
 
千駄木の団子坂を北に上がったところに、ひときわ目立つ毛沢東の看板がかかった怪しい中華料理屋「毛家麺店」がある。
初めてその店の前を通った時、私は本郷に来たばかりのいたいけな学部2年生だった(と思う)。
真っ赤な外壁のその店に「ちょっと勘弁、、」と思っていたのにいつの間にか足しげく通うお店になっていた。(きっかけは忘れた)
そこの坦々麺は、練りゴマと中華料理特有の香辛料が効いた少し甘めのスープに細い縮れ麺がよく合って、さらに注文が入るたびにおばちゃんが包んでくれる水餃子はつるりプリプリで坦々麺と一緒に食べるとさらに美味しい。
一人でふらりと入って、おじさんとおばさんの中国語での軽妙なやりとりを聞くのが好きだったし、好きな人とつつく餃子は最高に美味しかった。
                             
そんな「毛家麺店」が閉店すると聞いたのは今日こと。
その筋によると、どうやら昨日急遽閉店が決まったとのことだ。
ショックだが動揺している場合ではない、どうかうそであってほしい、そう願いながら駆けつけた「毛家麺店」は人が並んでる様子もなく、いつも通りの怪しさを放っていた。
                            
「やっぱガセなんじゃない?」そんな期待で扉をあけると、
いつも笑顔で迎えてくれるおじさんは寂しそうで
常連さんとのやりとりに時折涙を潤ませるおばさんを見て現実を悟った。
 
チャーハンか餃子で悩んだ挙句、坦々麺と半チャーハンを頼む。                           
 
「恋の終わりはいつも人を優しくする」と一風堂、いや風味堂の3人のメンズが歌うように
最後の一杯を飲んだ私は切なさと寂しさと押し寄せる旨味で胸がいっぱいになった。
 
なぜ店を閉じるのか、なぜ今日なのか、この先どうするのか。
聞きたいことはいっぱいあったけれど、手短にここのお店が大好きだったこと、今までの感謝を述べた。
「ダメよあなたそんなこと言っちゃ、この人また泣いちゃうから」
私の横にいたご婦人がそう言うと、おばちゃんはまた少し泣いて、おじさんは困ったように笑った。            
 
店を後にして、昼間の熱が引きつつある不忍通りを、自転車を漕ぎながら思った。                  
 
「ああ、やっぱり水餃子も頼めばよかったなぁ。」