5月24日(木)

 
朝から腹痛でダウン、昼近くまでベッドでゴロゴロしていたら
ゆりちゃんが心配して声をかけてくれた。
 
心や体がちょっとダウンな時、すぐ察知して声をかけてくれるゆりちゃんにはいつも救われている。
 
ゆりちゃんの最近の決断のお話を寝転がりながら聞く。
"calling"という単語を、久しぶりに(中高の聖書の授業ぶりだろうか)聞いた。
 
callingは聖書の教えでよく使われる言葉で、神に呼ばれること、転じて召命や天職という意味を持つ。
私は特定の信仰対象を持たないのだけれど、それでも「呼ばれている」ように感じたことは数回ある。
 
天職、とはなんだろう。
寝食も忘れて打ち込めるような、夢中になれる仕事のことだろうか。
お金にならなくても、内にある炎を絶やさずに追い求めるロマンのようなものなのだろうか。
 
私にとっての天職はよくわからないのだけど、願わくば神の道具としていい働きをしたい、と思う。
 
自分が幸せになることへの強烈な欲望がないのは、「私いま幸せだっけ?」と問うのが面倒なのと、これまでアンフェアに幸せだったからかもしれない。
 
どんな道具としてどんな用途に使われるかは、自分の考えの及ばない超越的な存在しかわからない、そう思うと心がとても軽くなる。
自分を自律した生物としてとらえるより、分化のシグナルを待っている細胞として捉えるほうが時にしっくりくるのだ。
 
callingに備えて、油を注したり刃を研いだりして過ごそうと思う。
 
昼は交番近くの立ち食いそばKへ。
こんな日は冷たい天たまそばに限る。Kはかれこれ50年ほどここでお店を構えているらしい。
ここのかき揚げは、小さなイカと真っ赤な桜えびが入っていてそれはそれは美味しいのです。
お蕎麦は立って食べるほうが美味しいという仮説を得たが、どうだろうか。
 
腹ごしらえを済ませ友人M宅で仕事。行きしなにコアラのマーチとアイスコーヒーを買っていった。
Mちゃんは海辺に住む大きな生き物みたいでふわふわしてて可愛い。
 
ぽんぽんぺいんが再発したのでMちゃんの部屋の片隅で昼寝をした。
起きたらコアラのマーチが全部なくなっていて、ちょっと引いた。
 
夜は高校時代の塾の友人yと乃木坂で餃子を食べた。
めちゃくちゃ美味しかったので再訪確定。
yちゃんの飼っている犬の話とか、彼氏の話とか、弟くんの話とか、仕事で引き抜かれそうになった話とか聞く。
あとは付き合う友人って変わるよね、という話。最近この手の話がとても多い。親友ってなんだろうとかね。
 
リレー日記の話をしたら、面白がってくれていた。
まれびとにも是非呼ぼうと思う。
 
みなこ